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両替詐欺事件@アルゼンチン [海外体験昔話]

                             2011年8月7日UP
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1985年から1990年にかけて仕事でアルゼンチンのブエノスアイレスに通算で42日間ほど訪問していた頃の話。事件は1989年か1990年のある日だったと思う。
 
当時の通貨は、1985年6月15日に「ペソ・アルヘンティーノ」から「アウストラル」に切り替えられた。当時ブラジルも同じだったが、ハイパー・インフレで半年ほどでお金の価値が1000分の1位になり、訪問するたびにゼロを三つ指で押さえて円換算額を把握した記憶がある。(話は一寸横道それるが、こんな時庶民は大型の冷蔵庫を買い、今手に入る食料品を大量に買い込む。 なぜならば明日は確実に商品価格が値上がりするからだ。) 
 
Argentina 1milliom Pesos F.JPGアルゼンチンの場合、写真の様な百万ペソなんてお札が堂々と街中で使われていた。インフレで、その通貨ではゼロが多くなりすぎて困る様になった段階で、通貨切り替えが行われ、古いお札の新通貨への交換が期間限定で行われていた。交換期間を過ぎた旧通貨は使えなくなる。
 
小生がアルゼンチンを訪問しだしたのがちょうど1985年からである。TVや新聞では連日US$とAustralの交換レートが報じられていた。 しかもオフィシャル・レートとパラレル・レートの二通りのレートが報道されていた。パラレル・レートとは市中の標準的な闇レートである。
 
DSCN2767.JPG1週間ほど滞在したホテルのチェックアウトを翌日にひかえたある日の朝、ホテルの朝食にも飽きたので町のカフェに向かうことにした。
 
途中、良いレートで両替するよと言う男の前を通り過ぎようとしたとき、自分は店を構えた人としか取引しないけど貴方は店を持っているか?と聞いた所、シー・店はアソコだと言う答えが返ってきたので、分かった朝食後に400US$両替すると言って一先ず分かれた。
 
カフェで朝食後、例の男に会ったが、市庁舎の役人が今見回っているから5分待ってくれと言われ待った。数分後、もう大丈夫と言われ、先程指差した店の横のエレベーターホールに私を連れていった。
 
何だお店ではないじゃないか?と言って分かれようとした時、第二の男が現れ、計算機で400X約束のレート=xxxAustral と計算して見せ、手持ちの金を数えて見せた。可也分厚い札束だ。お店では無いが現金を見せて納得させようとしているなと思い、お金を引き寄せようとすると、ぐっと強く握り話してくれなかった。
あ、そうかひったくって逃げると思われたのかもと思い、400$をポケットから出して渡そうとした瞬間、
 
第三の恰幅の良い男がエレベータに乗る様子で現れ、お金を持っている第二の男が小生に背をむけた。あ、そうか先程言っていた市庁舎の役人が取り締まりに来たのかと思った。
 
DSCN2766.JPG第三の男がエレベーターに乗りドアーが閉まった瞬間、第二の男と小生の間ですばやく両替を済ませた。直後に又第三の男がエレベーターから出てきて私のあとをついてくる、拙い、ホテルまで急いだ。途中男が見えなくなったので、ポケットに手を入れ札束を確認した。でも、先程なかった輪ゴムが巻かれている怪しい。輪ゴムを外して確認したところ、中身がサンドイッチ状に成っており、一番外側は今も使えるお札だが中に価値ゼロの旧通貨が大量に挟まれていた。価値にすると、400$と数千円位の両替をしてしまった事になる。
 
念のためホテルのフロントで事情を話し、このお札は使えるかと聞くとにやにや笑われ使えませんと言われた。部屋に戻り、国際電話で妻に泣き言を言った、「400$で殺されなかっただけ良かったじゃあない」と慰められ立ち直れた。
 
以上、両替詐欺の話でした。 闇取引にはご注意下さい。
 
PS:因みに今のアルゼンチンの通過は1992年以降、新たな「ペソ」に戻っている様だ。

下の写真は「ペソ・アルヘンティーノ」と「アウストラル」。両方とも現在の価値はゼロだ。

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