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赤痢事件@フィリッピン [海外体験昔話]

                            2011年8月5日UP
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1978年から1984年にかけて、
大手電気メーカーの仕事でフィリピンのマニラに通算400日強通っていた頃の話。 1983年にセブ島に3泊した記録があるので多分その頃だったと思う。当時の小生の年齢30才。
 
マニラで予定の仕事をほぼ終え帰国しようと考えていたとき、東京の上司より電話がかかり、「新製品の性能を示すデモンストレーション・テープ撮影チームがマニラに着くので、被写体となるモデルを2名捜し撮影のアシストをせよ」との指示を受けた。
 
モデルさんには細かい指示があり、白人系ミスティーサとモレナ系茶褐色ミスティーサの2名、希望年齢20前後だったと思う。俳優やモデルには全く縁が無く困り果てた末に当時 Culture Center of the Philippines 傘下の、ある組織のディレクターに相談した。彼は目を輝かせて引き受けてくれた。
 
数日後、私の宿泊しているホテルの部屋の隣にもう一部屋とり、候補者10名ほどへの説明会件オーディションをやることになった。審査員はカメラマンほか数名。水着での撮影も予定していたので、審査員から、水着撮影は良いか?2ピース水着でも良いか?ビキニ撮影でも良いか?
と段階的に聞いていった。驚いた事に水着撮影の質問の段階で2人ほどがNOと答え辞退した。皆カトリック教徒なので躾けが厳しいのだろう。何とか希望の2名を選び、マニラ→イロイロ島→セブ島の順に撮影が進んで行った。
 
セブ島では、島内での撮影のほか、島の反対側にある無人島(たしかバジャン島だったと思う)での撮影も準備した。その無人島に向かうという前夜、東京より帰国の指示が届いた。美女との仕事の方が楽しいので抵抗したが許されず、言われるまま帰国した。

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翌朝の金曜日、出社したところ、20~30分間隔で寒気と、此れまで体験したことの無い、呼吸が出来なくなる程の腹痛がおそってきたので、翌週からの仕事を考え、昼頃に早退する事にした。自宅では、風邪薬をのみ未だ5才の娘の昼寝中の横に布団を敷き休んだ。発熱と下痢が続き、翌々日の朝、出るものが無くなって便器が綺麗なピンク色に染まったので妻を呼び見てもらったところ、「どうする、貴方ほぼ間違いなく赤痢よ」と言われ、家の近くの済生会中央病院に行った。
 
医者曰く「生憎日曜日なので検査が出来ない。赤痢に間違いないと思うのですぐに都立荏原病院に行ったほうが良い」とのこと。一先ず自宅に帰り119に電話して救急車を依頼。理由を聞かれたので赤痢の疑いと言ったところ「伝染病の疑いのある方は乗せられません」とのこと。どうすれば良いのか聞いたら「保健所に電話してくれ」との事だったので掛けたところ、「生憎、車が出払っていて、すぐには手配できない」といわれた。
 
仕方なく、一人でタクシーで都立荏原病院に行ったところ、即、隔離病棟に入院。以降家族とも面会謝絶となった。病棟内でも他の患者と接触しないようたった一人なのに大部屋に隔離された。共同のトイレも使用禁止となり「おまる」が部屋の隅に置かれた。人に会うとしても2M以内に近づいてはいけない。 公衆電話も有ったが、使うときはコインとタオルを消毒液の中に漬け、手と受話器をタオルで拭き、コインを投入。そのあとタオルを指に巻いてダイヤルを回すよう指示された。
 
入院はしたものの、病原菌が特定できるまでは何の治療もしてくれない。
 
寒気がおさまらず、看護師に風邪薬の処方を頼んだが、我慢してくださいとの答え。
数日後には、下痢便はチョコレートの様な黒茶色となり、外側が蛙の卵の様なゼリー状のものに包まれだした。看護師に聞いたところ、腸壁が菌に冒され便といっしょに出てきているとのこと。
 
入院中毎朝、寝起きにおしりの穴に太い綿棒の様なものを差し込まれ、ぐりぐりされた。結構痛い。粘膜を採取して菌を培養するらしい。
  
1週間くらいたった頃培養の結果がでて、小生の赤痢菌が「ソンネ菌」だと判明。
薬が処方された。薬を飲むとすぐに効き、下痢も熱もあっと言う間に退いていった。
  
「アメーバー赤痢」で無くて良かったですね」と看護師に言われた。アメーバー赤痢だと菌が血液を通して体中に回るので回復に1ヶ月はかかるが、「ソンネ菌」は治療開始後1週間位で退院できるとのこと。
 
実際、順調に回復し退院日には入浴が許された。入り口と出口の違う浴室で身体を洗い、妻が差し入れてくれた衣類に着替え、いざ釈放!いや退院!
迎えに来てくれた妻と共に帰宅し、翌日からの出社に備え、会社の皆にお詫びとして配るクッキーを購入。

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出社したところ職場の皆が冷たい。聞くと小生の赤痢確定の段階で、職場全体、トイレ、小生のデスクやアタッシュケース等々、保健所が来て徹底的に消毒薬をまかれたとの事。本人も入院中大変だったが、自宅や職場も大変だったようだ。因みに自宅では寝ていた布団やステレオ等小生が触ったものや、マンションの側溝は全て消毒液をかけられ大変だったとの事。
 
取り敢えず職場の人たちみんなに謝罪して回った。

赤痢にかかった原因は未だに分からない。 当時吸っていたタバコのフィルター部分を汚れた手で引っ張り出すときに口に菌が移ったのかとも考えたが、医者によるとその可能性は無いだろうとの事。 後は菌が付着したものを食べたのが原因かもしれない。 因みに当時のフィリピンでは、赤痢やコレラの患者を病院に隔離するシステムは無かった。 町で普通の生活をしているので、その患者が料理を造ったとも考えられる。

医師曰く「貴方は此れまでにも何回か赤痢やコレラにかかって居たのかも知れない。かかっても体力が充分あって、発病しなかったのではないか」とのことだった。

職場復帰して数日たった頃、上司から労災の申請に行って来いと言われ労働基準局に行ってみた。 貴方は業務中に、どこで、何の原因で赤痢にかかったのかを証明できるか? 一緒に行動し同じように赤痢にあった人が居るか?と問われ、原因不明の状況では申請不可能と思い断念した。

以上、古い話なので参考にならないかも知れませんが、今後旅行をされる皆様の自己防衛の参考になれば幸いです


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